先般、胡錦濤総書(shū)記は全國(guó)政治協(xié)商會(huì)議の委員たちを見(jiàn)舞った際、「社會(huì)主義の名譽(yù)と恥についての意識(shí)」の確立についての談話を発表し、代表と委員らの間で強(qiáng)い反響を引き起こした。胡錦濤総書(shū)記は「われわれの社會(huì)主義社會(huì)においては、是非、善悪、美醜の違いを混同することは絶対に許されない。われわれが堅(jiān)持していること、反対していること、主張していること、排除しようとしていることは明らかにそうしなければならない」と語(yǔ)った。
胡錦濤総書(shū)記は「幹部や大衆(zhòng)、特に青少年たちが社會(huì)主義の名譽(yù)と恥についての意識(shí)を確立するよう導(dǎo)かなければならない。(1)祖國(guó)を心から愛(ài)することを名譽(yù)として、祖國(guó)へ害を及ぼすことを恥とする。(2)人々に奉仕することを名譽(yù)として、人々を裏切ることを恥とする。(3)科學(xué)をたっとぶことを名譽(yù)として、無(wú)知を恥とする。(4)勤勉に働くことを名譽(yù)として、安逸をむさぼり、働くのを嫌がることを恥とする。(5)団結(jié)して、助け合うことを名譽(yù)として、他人を損い、自らの利益を図ることを恥とする(6)誠(chéng)実で信用を守ることを名譽(yù)として、利益に目がくらんで義を忘れることを恥とする。(7)規(guī)律と法律を守ることを名譽(yù)として、規(guī)律と法律に反することを恥とする。(8)刻苦奮闘することを名譽(yù)として、贅沢三昧や快楽をむさぼることを恥とする」と語(yǔ)った。
これについて、「人民日?qǐng)?bào)」は論評(píng)を掲載し、「胡錦濤総書(shū)記が提起した社會(huì)主義の名譽(yù)と恥についての意識(shí)の八つの點(diǎn)は概括的かつ的確なもので、深い意味をもつものである。名譽(yù)と恥についての意識(shí)はそれぞれの時(shí)代、それぞれの民族にとっては違うものである。胡錦濤総書(shū)記が提起した社會(huì)主義の名譽(yù)と恥についての意識(shí)は、現(xiàn)代の中國(guó)の発展の全局に著眼し、中華民族の將來(lái)に眼を向け、當(dāng)面の社會(huì)気風(fēng)に存在しているいくつかの誤りを指摘し、中國(guó)の伝統(tǒng)的な名譽(yù)と恥についての意識(shí)の精粋を吸収し、強(qiáng)い民族性、時(shí)代性、実踐性のあるものである」ということを指摘している。
現(xiàn)実の中での社會(huì)主義の名譽(yù)と恥についての意識(shí)の意義はなにか。全體として現(xiàn)代の社會(huì)は開(kāi)放的で、寛容なものであるが、いくつかの基本的な問(wèn)題について自らの準(zhǔn)則と最低のラインがある?,F(xiàn)代社會(huì)におけるライフスタイルの多様性により、人々には自らのライフスタイルを選ぶ自由があるが、いずれにしても、人間としての最低のラインに背き、是非を転倒し、醜悪を美徳と見(jiàn)なし、悪を善と見(jiàn)なし、恥を名譽(yù)とすることは許されない。社會(huì)主義の名譽(yù)と恥についての意識(shí)は伝統(tǒng)的な社會(huì)から現(xiàn)代社會(huì)に移行する中で、確立されなければならない社會(huì)の価値観と個(gè)人の人生観であり、われわれの社會(huì)の共通認(rèn)識(shí)となり、人間としての準(zhǔn)則となるべきである。
「チャイナネット」 2006年3月8日