南京慰安所問(wèn)題の全面的かつ系統(tǒng)的な研究の第一人者である南京師範(fàn)大學(xué)の経盛鴻教授(歴史學(xué)専門(mén))はこのほど、舊日本軍が南京に設(shè)けた慰安所に関する調(diào)査報(bào)告書(shū)を完成させた。調(diào)査に費(fèi)やした期間は3年間。報(bào)告書(shū)は、中國(guó)侵略戦爭(zhēng)の8年間で舊日本軍が南京で慰安所40カ所を作ったことを立証している。
経教授を取材した南京の現(xiàn)地紙「現(xiàn)代快報(bào)」によると、経教授は次の2つのルートを通して慰安所40カ所の所在地を突き止めた。
(1)日本に侵略?占領(lǐng)された當(dāng)時(shí)の新聞や文書(shū)を収集。南京市檔案館(資料館)に保管されている小冊(cè)子「南京指南」は、1938年に日本人のために出版されたもので、南京の陸軍慰安所9カ所の所在地が公然と記載してあった。
(2)実地調(diào)査や、生存者の記憶による立証。南京は當(dāng)時(shí)、日本の侵略軍の総司令部が置かれ、駐屯部隊(duì)が多かった。このため、日本當(dāng)局の慰安所と慰安婦の數(shù)は南京が最も多かった。
経教授は、自分には2つの願(yuàn)いがあると語(yǔ)る。1つは、慰安所の跡地を殘すよう政府が対策を講じることだ。歴史學(xué)者16人が昨年、南京の歴史文化財(cái)を保護(hù)するよう南京市政府に連名で呼びかけた。當(dāng)時(shí)の狀態(tài)がほぼ保存されている慰安所の跡地は現(xiàn)在、40カ所のうち6~7カ所のみだ。経教授らは、南京の恥辱の歴史を記録する舊跡がこれ以上破壊されてはならないとしている。もう1つは、南京大虐殺の生存者や目撃者が少なくなりつつあるため、政府がこれらの「歴史の証人」を早急に保護(hù)し、困難に対する支援を行うことだという。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2004年12月14日